よく学び、よく働き、よく遊ぶ
何にでも興味を持つことが大切

高校卒業後、広告会社に就職しCMづくりなどに携わっていた中島さん。19歳のとき、父親の事故で訪れた総合病院で初めて 歯科技工士という仕事を知った。まったく畑違いの仕事になぜ惹かれたのか・・・。
そして昭和51年、新設された新大阪 歯科技工士専門学校の2部に入学し免許を取得することになる。このときすでに31歳、結婚もしていた。朝から 歯科技工所に向かい夕方からは学校へ、夜9時前に授業が終われば技工所へとんぼ返りして夜中まで仕事という毎日で「いやー、あの頃はほんまよ-働いた。」だが、どうやら勉強一筋でもなかったらしい。「授業を抜け出して麻雀をしに行ったり、やんちゃやったね。先生から完全に顔を覚えられて『中島、お前やるんやったら技工業界のトップ目指せ。』とはっぱをかけられたのもその頃。」
根っから負けず嫌いの中島さん、見事に期待にこたえ卒業後約半年で“中島 歯研”を設立し社長に、さらに全国に広がる母校の同窓会長、非常勤講師を勤め、昨年まで大阪府 歯科技工士会副会長という責任のある立場をまっとうした。ここまで実績を積んできた今の心境は・・・。
「この業界は技術ひとつ、素材ひとつとっても新しいものがどんどん出てくる。卒業して免許をとっても自分自身が勉強せんとだめなんです。一人前やと思ってしまった時点でその人の技術は終わりなんちゃいますか。僕は今でも勉強中です。」
趣味のゴルフもままならない多忙な毎日の中でも必ず患者さんに向き合い、腕を磨いている中島さんの一言ひとことには心に染み入る重みがある。
学校を中心に広がるOBの輪が一人ひとりの卒業後をフォロー
第一期生ということもあり、母校に対する思い入れは人一倍強い。卒業生の立場から見た新大阪 歯科技工士専門学校について「学校全体が良く勉強してる、常に新しい物を取り入れているところが素晴らしいと思います。就職活動もがっちりフォローしてるいるし、卒業後何年たってもいい関係が続く頼もしい存在」と語る。
また「大学を卒業しても就職が困難な今、歯科技工士なら目と手が動けば定年もなく一生続けられる仕事、現に91歳の現役 歯科技工士もおられて、人が口から物を食べる限り技工士は不可欠な仕事」だそうだ。
卒業生3,733名からなる同窓会活動について少し聞いてみた。「同窓会組織がこれだけ充実してる歯科技工士の専門学校はないですよ。近畿・中国・四国・九州・沖縄まで11の支部があって各支部で学術講演や懇親会を毎年やってるんです。僕も忙しいけど、やっぱり毎回出席して、地元で活躍してる卒業生の顔を見て安心したり、新卒者のU
ターン就職のお手伝いをしたり。今年は特に大阪で全国の支部長を集めて支部長会議ができてほんまに良かったです」何年も会長という役を引き受けていれば情性も出てそうなものだが、中島さんにかかってはそれば無縁のもの。母校にとっても、こんなに一生懸命な同窓会長は二人といない大変ありがたい存在だ。


時に厳しく、時に一番のはげましとなる“座右の銘”
「技工士は一番目に勤勉・直実・二番目に整理整頓、三番目に礼儀正しいこと」大先輩から授かった言葉を胸に、「一生涯現役でありたい」と屈託のない笑顔は学生時代と少しも変わらないのであろう。これだけ経験豊富でありながら、決して上から人を見ることはしない姿勢。けれど、中島さんからは自信と強さ・情熱と輝きが溢れている。
歯科技工士にあこがれ、中島さんに育てられ、独り立ちしていった若者はいったいどれくらいいるのだろう。
なんだかホッとする居心地の良いラボに、またいつかお邪魔してそんな話を聞いてみたくなった。

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