技工に打ち込む日々
自分が今までの遅れを取り戻し会社で生き残るには、果たしてどんな方法があるのか。「単純なことですよ、人の倍働けばいいんでしょ。もともと負けず嫌いなんでね」。そこから半年、ほとんど休みもとらず技工に打ち込む日が続く。たまの休みも技工の技術セミナーや講演会に顔を出すようになった。「休まないからお金がたまるんですよ。それで1日20万円くらい使って遊んだりね。それで十分」。
”やると決めたらとことんやるで!“という気持ちとエネルギーが、あっという間にラボ内の売り上げナンバーワンという数字にあらわれた。それでもまだ飽き足らず、他の現場の技術にも触れたいと他のラボにも修業に出るほどの熱心ぶりが続く。修行先では、3年程度の経験しかない藤松さんがバリバリ仕事をこなすことを妬むキャリア組みもいたがそんなことは気にしない。黙々と目の前の歯科技工に向き合いながら、もっと先の自分を見据えるようになった。
「とにかく、必要とされる人にならんとあかんじゃないですか。僕の場合は歯科医院に来院される患者さんに直接会いに行って、補綴物の情報を提供するんですよ。『自分の口の中に入るものはどんなもので、誰が作るのか』っていう不安を解消できるから喜ばれますよ。他の歯科技工士はそんなことあまりしませんからね」。ただ補綴物を作るだけだった藤松さんが、いつしか患者さんという立場を意識した歯科技工士に成長したことがはっきりコメントにあらわれている。
いよいよ独立・開業へ
そして2003年12月、27歳で京都向日市に“S.T.F.Dental Service”という社名で自分のラボを立ち上げた。「もともと独立は考えてなかったです。でも、もっとやりたいこと出てきたんですよね。やらしい言い方ですけど、今より稼ぎたいとも思ったし、欲しいものは手に入れる主義ですから」。これからは自分のペースで仕事の領域をコントロールできる。 「とにかく最初はガムシャラですよ。若い技工士(経営者)やからドクター(歯医者さん)から ”なめられるんちゃうかな“とか心配しましたけど問題なかったです。僕の姿勢は”こんな仕事できるから任せてください“ではなく ”これから一緒に勉強させてください“というパターンなんで、受け入れてもらいやすかったのかもしれない」。
働きやすい環境にするため移転
そこからわずか1年半で長岡京市にラボを移転した。「失敗したんです。見た目とか気にせんと仕事してましたから。前のラボはすっごいせまくて、僕の服はユニクロやし、車ボロボロ、スタッフに夢持たれへんって言われてしまった。『これではあかん、まず環境を整えな、いい人材も育たへん。』ドカーンと金使ってこっちに来たんです」。元々はステーキハウスだったビルの一角を見事に歯科技工所にアレンジ、広々とした空間に軽快な音楽が流れていて、ドイツ製の美しい技工用デスクには若いスタッフがゆったり腰掛けて作業を進めている。
快適な環境で各々が責任を持って品質のよい技工物を製作するんだという藤松さんの意気込みや信念が感じられ、それが職場全体に十分浸透しているようだ。
勢いにのって、さらに躍進を予感させる藤松さんに今後の抱負を尋ねると「とにかくいい人材が欲しい。そのための環境整備とか、たとえば個人ラボっていうんじゃなくて法人化して、スタッフが安心して働けるようにせなあかんなと。京都のドクターたちとスタディグループを作ったり、色々やることありますね」。これだけ頑張り屋だったら、他の仕事でもきっと成功したに違いないだろう。「今になって、技工って俺の天職やったんかなと思うになりました。京都で1番とりますよ、見ててください。」という力強い言葉に、新大阪歯科技工士専門学校はすばらしい卒業生に支えられて続いているんだと胸が熱くなった。
現在も、学生時代の仲間とは「技工」を介しての交流が続いている。ヤンチャだった10代、特に目的もなく過ごした学生時代、就職した頃の甘さ、いい仲間との出会い、すべてが今の藤松さんをつくっている。29歳の熱血社長の10年後に注目したい。
1976年12月7日生まれ 29歳
1997年3月 新大阪歯科技工士専門学校 卒業
1998年3月 専攻科 卒業
2003年12月 S.T.F.Dental Serviceを立ち上げ独立開業
2005年5月 同社を大幅に拡張移転


