「独立できる」「人の役に立つ」に魅力を感じ歯科技工士の道へ

 槙原さんは高校卒業後、新大阪駅近くの会社に就職しました。大学進学を薦めていた両親の反対を押し切り、選んだ就職の道。しかし、実際は「仕事内容に夢がなく、やりがいを見つけられませんでした。今のままでいいんだろうか?と、毎日悶々としていましたね」と、当時を振り返ります。そんな時、たまたま目に入ったのが新大阪歯科技工士専門学校の看板。歯科技工士という仕事について、槙原さんなりに調べてみると、「独立開業できる医療の仕事、医療人として人の役に立てる仕事だということがわかったんです。コレだ!と思いました」。迷うことなく新大阪歯科技工士専門学校に入学。この時、槙原さん22歳…。「正直、年齢に焦りを感じていましたので、早くいい技術を身につけたかったんです」と、歯科技工所(卒業後働く場所:通称ラボ)での臨床研修がセットになっているll部(3年制)を選んだそうです。入学後、臨床研修先として六甲歯研を学校から紹介されました。当時はスタッフが6名だけの小さい会社でした。この出会いが槙原さんの人生を変えることに。  昼間は歯科技工所での臨床研修、そして夜は学校で授業を受けるという3年間。「実際に現場で働きながら技術を習得できたことがよかったと思います。現場では前へ前へ進んでいくことが面白く、チームワークの大切さも含めて色々なことを吸収しました。研修先でやることが学校より進んでいましたから、授業の方は手を抜いてたなぁ(笑)。それに国家試験対策が万全な学校だから安心していましたし」。

社会に貢献できる仕事 阪神淡路大震災で痛感

 卒業後、研修先の六甲歯研に正式に就職することに。精力的な槙原さんの仕事ぶりが評価され、28歳で業務部長に。35歳には、加古川に立ち上げた新規営業所の所長に。この後間もなくして阪神淡路大震災が起こり、兵庫県は大きな被害を受けました。患者さんの大切なカルテが瓦礫に埋まり、途方に暮れる歯科医院が多数。「自分たちの商売よりもやるべきことをしなければならない!と思いましたね。水を運んだり、カルテを掘り起こしたり、無料で緊急歯科医療チームを作ったり。この時ほど、歯科技工士が社会に貢献できる仕事だと痛感したことはありません」。誰もが大変だった時期に、利他行の心で自分のためではなく、世の中のために役立つことを優先させた六甲歯研は大きな評価を得ることに。「自分さえよければいいと考えていたら今の六甲歯研はないでしょう。六甲歯研はテクニカルではなく理念でまとまっているのが特色の会社ですね」。