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歯科技工士としての迷い |
歯科技工士になろうと決めたのは挫折からだった。
元々は学校の先生になるのが夢だったという白田さん。
しかし苦手な英語が大学受験の足を引っ張っていた。
大学はあきらめようか、どうしようか…と悩んでいたある日、両親からすすめられたのが歯科技工士。軽い気持ちで行った体験入学で、この道に進むことを決心。
手先が器用で美術の成績もよかった白田さんにとって、モノづくりの仕事はまさに天職のはず、だった。
新大阪歯科技工士専門学校を卒業後、卒後教育を受け、平成11年4月に歯科技工所に就職。いつか独立開業することが夢だった。
しかし、挫折はあまりにも早くおとずれた。わずか7ヶ月後に退社。「歯科技工士を選んだことは間違いだったのかもしれないと思いました。モノづくりは好きだけど、ただ作るだけではマシンのよう。創る仕事がしたかったんです」。
悶々とやり過ごす毎日。歯科技工士になるために費やした4年間を後悔し、人生にまでもあきらめを感じていたという。白田さん22歳のころだった。 |
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転機おとずれ、独立を決心! |
「失敗したな」。これが歯科技工士になった自分に向けた言葉。「転職しても4年間出遅れているワケだから、もう自分は負け組だなと思い諦めていました」。
何に転職しても負け組ならとりあえず、と再就職。今度は歯科技工所ではなく、歯科医院に就職したことが白田さんに転機をもたらした。
「歯科医院では歯科技工士は僕一人だったので、仕入れなど一切をまかされいて、プチ開業のような感覚だったんです。この経験が『独立開業』の夢を思い出させてくれました」。見失っていた夢と再び向き合うことができたころと時を同じくして、奥さんと出会い結婚へ。 |
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結婚により新たな局面へ |
白田さんは、奥さんである弥栄さんとの出会いからわずか8ヶ月で結婚。弥栄さんとの結婚が自分を大きく変えたと白田さんはいう。
卒業当初はバリバリ働いてガッチリ儲けるのが目的だったそう。しかし、弥栄さんとの出会いで、儲けることよりも創ることの喜び、人に喜んでもらえることの喜びを改めて感じることができたのだと。「閉ざしている心の扉を開けさせる力、妻の笑顔が持つその力に影響され、僕は変わりましたね。自分のためだけではなく、相手のために、相手を喜ばすために行動することが大切だということを妻から教わりました」。
弥栄さんとの出会いで、夢のカタチが変化。この時、白田さん25歳。 |
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1.おばあちゃん子だったという白田さん(中央)
2.小学校時代(中央)。このころから手先は器用だった
3.友達は同性ばかりだった中学生時代。柔道と陸上部に所属
4.新大阪歯科技工士専門学校時代
5.結婚式はハワイのモアナ サーフライダーにて |
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独立を決めるまでの道
07年11月1日。東大阪市の住宅街に一軒の歯科技工所が開業した。夢や希望に溢れた独立開業への道のり。と思いきや、実際はそれだけではなかった。「歯科技工士という職業に夢を持てなくなった日もあった・・・」、社長である白田順紀さんはそう語る。夢を見失い、途方に暮れた毎日。職場を変え、環境が変化したことで見失った夢に再び出会ったこと。独立を決心するまでの白田さんを追いかけた。 |
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